ビフォーアフター
2014年4月から2015年4月 175kgから130kgまで 前から
2014年4月から2015年4月 175kgから130kgまで 横から
2014年4月から2015年4月 175kgから130kgまで 上半身ハダカ
2014年4月から2015年4月 175kgから130kgまで 上半身ハダカで横から
俺が300kgのときの写真はないんだけど、かなり近い写真だよ。
8X から XXLになった
適当に見つけた写真を並べたよ。NFLのキングサイズシャツしかフィットするものが無かった
8XLシャツをきた今の俺。
トピ主からのコメント
長文になるけど、許してくれ。
さて、まず質問されそうなことを先に答えておくかな。
こういう投稿をすると一番多い質問
「失礼な質問かもしれないけど、どうしてそんなに太ってしまったの?」
一言で答えるなら、若い頃から俺は食べ物を心の支えにしていた部分があったというところかな。
いつからこんな風に太り始めたのか、はっきりしたことは覚えていないんだ。でも、アルバムの写真をみると、3歳から4歳位から始まったようだ。
喘息にアレルギーに、珍しい病気も幾つか患っていた。
だから俺は家にずっと閉じこもることになった。
窓の外で遊ぶ友達を見ながら母にこう問いかけていた。「そとで遊んでいい?」彼女は悲しそうにダメよというんだ。
俺の悲しみを癒やすために両親がとった手段が食べ物だった。
悲しいの?じゃあ、おいしいものあげる。嬉しい?
そうして俺は成長していった。でも俺の両親は相変わらず、俺が落ち込むと食べ物をくれたよ。
「ママ。バスで友達にメガネ壊された。悲しいよ。」
「ママ。お医者さんに、20歳前半で死ぬって言われた」
「ママ。体の調子が悪いよ。。。」
「ママ。うわ~ん!うわ~ん!」
「私の可愛い息子ちゃん。ハンバーガー何個欲しい?」
こんなかんじで毎日を過ごしていた。親が家をあけるときは、いつも食べ物を欲していたよ。
ここではっきりさせておきたいのは、俺は一切親を恨んでいないということだ。
確かに食べ物以外を使ったほうが良かったかもしれない。だけど、欲しい物を手に入れるために、両親を利用したのは俺なんだ。
よく、親のせいでそんなになったんだから、親を責めたるべきだという人がいる。「俺が食べるのを止めなかった」という責任で責めろっていうんだ。
でもちがうよな。俺が選んだ道なんだから。
今でもはっきり覚えている。母が涙をためながら俺にお願いするんだ。「あなたに死んでほしくないの」
医師は面と向かって「このままだと死んでしまうよ」と言ってきた。耳の感染症で緊急治療室に入った時に言われたんだ。
中学校の校長先生は、俺と一緒に放課後一緒にトレーニングしてくれた。
俺の父親も心配してくれた。どうやら彼は俺をゲイだと思っていたフシがある。
肥満児のためのキャンプにいきもした。いろいろなダイエットを試した。でも、わかるだろ。どうにもならなかった。
食事中毒だったんだ。そのころどのくらいカロリーを摂取していたか想像つかないけど、少なくとも10000カロリーはオーバーしていたはずだ。マイフィットネスパルを使って、一番太っていた頃の普通に食べていたものを記録してみた。これが結果だ。
(訳注:11,563カロリー!)
つぎに多そうな質問
「どうやってダイエットしたの?」
2011/9/11
胃のバイパス手術をした後、ディーン総合ダイエットプログラムに参加した。
2011/10/11
マイフィットネスパルに参加。カロリー計算開始
2012/12/18
俺のヒーローであり、最高の友達であり、俺の世界であり、最も強く、自己犠牲の精神をもった素晴らしい母が、ガンとの戦いを終えた。
2013/1/25
150kgまで落とした。
母がいなくなってから、俺は負のスパイラルに陥った。医師の力も、決断力も失ってしまった。
でも、いろいろあって、またやる気を取り戻してダイエットを続けたんだ。
どうやって痩せたか?
という質問に簡単にこたえると、
マイフィットネスパル、胃バイパス手術、カロリー計算
が答えだよ。
胃バイパス手術については、後悔していない。
見て分かる通り、皮膚のたるみはひどいよ。だけど皮膚について何かしようとは今は思っていないんだ。
海外の反応
なあ、トピ主よぅ。皮膚のたるみなんて、トピ主が伸ばした寿命に比べれば安い犠牲だろ?
しかも、そのたるんだ皮膚を取り除く手術は、脂肪を取り除く手術よりもはるかに安全だせ?
http://www.reddit.com/r/progresspics/comments/33x27c/nsfw_shirtless_saggy_dude_m_22_61_sw_660_cw_285/